私と凪手らも

これはHOXO-M Advent Calendar 2017 - Qiita 6日目の記事です。

今日は、ホクソエムの影のキーマン、凪手らも(英語表記:Nagi Teramo)氏について書きます。

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まずは歴史を遡り、今日の凪手らも氏へと連なる系譜を紐解いていきましょう。

羅門光三郎

凪手らも氏について語るには、まずこの人物に触れなくてはならないでしょう。

羅門光三郎は大阪の西成に生まれ、激動の20世紀前半を駆け抜けた剣戟スターです。その人気やすさまじく、

阪妻、千恵蔵、右太衛門、嵐寛の四大スターに次ぐ地位を占める活躍
(https://kotobank.jp/word/%E7%BE%85%E9%96%80+%E5%85%89%E4%B8%89%E9%83%8E-1674729)

であったと言われます。

Hadley Wickham、Kun Ren、石田基広、タカヤナギ=サンというR界4大スターに次ぐ人気を誇る凪手らも氏を彷彿とさせますね。

中島らも

そんな羅門光三郎の名前にあやかって「らも」と名乗ったのはこの人物です。笑殺軍団リリパットアーミーの主催、中島らも

その破天荒なエピソードは枚挙に暇がありませんが、中島らもは、人間の生きる苦しみと真摯に向き合ってきた人物でもあります。 代表作の一つ「明るい悩み相談室」は、ありとあらゆる相談に斜め上から答えながら、バブルに浮かれる世の中に隠されがちな闇をつぶさに拾っていく試みでした。

中島らもの明るい悩み相談室 (朝日文芸文庫)

中島らもの明るい悩み相談室 (朝日文芸文庫)

そんな中島らもの生き方は、時に明るく宮崎あおいを演じながら、

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人間の心が抱える闇と対峙してきた凪手らも氏にも通じるものを感じます。

凪手らも

そんな中島らもの遺志を継ぎ、この世に生を受けたのが凪手らも氏です。日系アメリカン三世の凪手らも氏は、普段はタヒチにお住まいなので直接お会いすることはなかなか叶いません。ツイッターというツールがこうして距離を超えて私たちをつなげてくれるのはありがたいことです。

なお、以下のツイートでは「無職」となっていますが、今は無事に職を見つけられたようで、「イケメン」という肩書きになっています。就職おめでとうございます!🎉

発表のクオリティ

そんな凪手らも氏は、タヒチ在住でありながら、Tokyo.Rに足繁く参加されています。私が凪手らも氏を初めて見たのはこの発表でした。

私はこのスライドにとても衝撃を受けました。まず何といっても字が大きい。

というと冗談で言っているように見えるかもしれませんが、これは本当に大事だと思っています。 正直、今もTokyo.Rで出会うスライドの半分くらいは文字が小さすぎて読めない気がします。

もちろん、内容もコンパクトにまとまっています。つかみもばっちりです。 このスライドに限らず、凪手らも氏のスライドは、なんというか全体に隙がなくていいなあと感じます。 「伝わるプレゼンにしよう」、と考えた時にこうあるべき、というエッセンスが詰まっている気がしてたびたび見返しています。

Rコミュニティへの貢献

直接お会いしたのはその半年後くらい、Tokyo.Rの受付のお手伝いをした時でした。

今はTokyo.Rにはしっかりした運営メンバーがいますが、当時はそんな体制ではなく受付なども毎回手伝いを募ってやっていました。 今も昔も変わらないのは、Tokyo.RなどのRコミュニティはRユーザーの献身によって支えられているということです。 しかし、凪手らも氏ほどの有名人が多忙を押して運営の手伝いに回っているとは思っておらず、大変驚くとともに感銘を受けた記憶があります。

また、今年のJapan.Rに際しても、代理人であるタカヤナギ=サンに会場の手伝いとKun Ren氏の招聘を指示されたということで、Japan.Rの成功を陰で支えた功労者であるといえるでしょう。

その気になれば、その時間で文字通りRでお金を作ることもできるのに、

ひとり利益を上げることを快しとせず、コミュニティへの貢献を惜しまないその姿勢。 私はまだまだ当時の凪手らも氏にすら遠く及びませんが、いつかもっとビッグなRおじさんになったとしても、この心を忘れず、コミュニティへの貢献を続けていきたいと思っています。

さいごに

凪手らもさん、いつも(物理的にも実力的にも)遠い存在として憧れの目で見ています。これからもR界のヒーローでいてください。